教材番号3についてのお知らせ

遠野郷は今の陸中上閉伊郡の西の半分、山々にて取り囲まれたる平地なり。
新町村にては、遠野、土淵、附馬牛、松崎、青笹、上郷、小友、綾織、鱒沢、宮守、達曾部の一町十ヶ村に分かつ。近代或いは西閉伊郡とも称し、中古にはまた遠野保とも呼べり。今日郡役所のある遠野町はすなわち一郷の町場にして、南部家一万石の城下なり。城を横田城ともいう。
この地へ行くには花巻の停車場にて汽車を下り、北上川を渡り、その川の支流猿ヶ石川の渓を伝いて、東の方へ入ること十三里、遠野の町に至る。
山奥には珍しき繁華の地なり。伝えいう、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりしに、その水猿ヶ石川となりて人界に流れ出でしより、自然にかくのごとき邑落をなせしなりと。
されば谷川のこの猿ヶ石に落合うもの甚だ多く、俗に七内八崎ありと称す。内は沢または谷のことにて、奥州の地名には多くあり。

教材番号2についてのお知らせ

或春の日暮です。
唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。
若者は名を杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を費い尽して、その日の暮しにも困る位、憐な身分になっているのです。
何しろその頃洛陽といえば、天下に並ぶもののない、繁昌を極めた都ですから、往来にはまだしっきりなく、人や車が通っていました。門一ぱいに当っている、油のような夕日の光の中に、老人のかぶった紗の帽子や、土耳古の女の金の耳環や、白馬に飾った色糸の手綱が、絶えず流れて行く容子は、まるで画のような美しさです。
しかし杜子春は相変らず、門の壁に身を凭せて、ぼんやり空ばかり眺めていました。空には、もう細い月が、うらうらと靡いた霞の中に、まるで爪の痕かと思う程、かすかに白く浮んでいるのです。
「日は暮れるし、腹は減るし、その上もうどこへ行っても、泊めてくれる所はなさそうだし、こんな思いをして生きている位なら、川へでも身を投げて、死んでしまった方がましかも知れない」
杜子春はひとりさっきから、こんな取りとめもないことを思いめぐらしていたのです。

教材番号1についてのお知らせ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。
住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。
あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。